よみもの・連載

『今ひとたびの、和泉式部』を恋うる文

“『今ひとたびの、和泉式部』を恋うる文”

青木逸美Idumi Aoki

 少女の頃、胸ときめかせた和歌がありました。その多くが恋歌で編まれた、『小倉百人一首』の中の一首。

あらざらむこの世のほかの思ひ出に
今ひとたびの逢ふこともがな

 ――私はもうすぐ死んで、この世からいなくなるでしょう。あの世への思い出に、せめてもう一度だけ、あなたにお逢いしたいのです――

 病床にあって死を予感した女性が、一目だけ愛しい人に逢いたいと詠(よ)んだ歌です。病に倒れ、弱々しく横たえた身のうちに、消えることのない恋の激情を抱く人。詠み人の名は和泉式部(いずみしきぶ)。命の消えるその間際に彼女が一目逢いたかったのは誰だったのか。その男性はこの歌を受け取り、いったい何を思ったのか。千年もの遠い遠いむかし、三十一文字に込められた恋心は、いまも私の心を熱くします。

 『今ひとたびの、和泉式部』は恋多き宮廷歌人、和泉式部の一代記。歌人として名高い和泉式部が世を去り、式部の養母・赤染衛門(あかぞめえもん)が縁(ゆかり)の人々を集めて催す“偲(しの)ぶ会”から、物語は始まります。式部は「多情な浮かれ女(め)」と噂される恋多き女。偲ぶ会の面々が語る式部の恋の遍歴に、赤染衛門の娘・江侍従(ごうじじゅう)はふと疑問を感じます。式部は本当に浮かれ女だったのか、真に愛したのは誰なのか――。江侍従は式部に心魅かれ、その生涯を追い始めます。まるで式部に取り憑(つ)かれたかのように……。

 式部は幸せな結婚をして、良き夫に愛され子どもに恵まれ、満たされた生活を送っていました。しかし、男たちの政治的な駆け引きの犠牲となり、無惨にも夫と引き裂かれてしまいます。夫と別れた後、冷泉(れいぜい)上皇の御子・弾正宮(だんじょうのみや)と恋に落ち、弾正宮亡き後は弾正宮の弟である帥宮(そちのみや)と深い仲になります。確かに式部は恋に明け暮れました。でも、当時の宮中は恋の無法地帯。そして、一夫多妻の通い婚。男が通ってこなければ、女は暮らしていけません。

冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべき
遥かに照らせ山の端(は)の月

 ――煩悩の暗闇からまた悩みの闇へと迷いこみそうな私を、山の端に昇る月のように照らしていてください――

 奔放に恋をした式部ですが、恋をすればするほど、冥き道へと迷いこんでいきます。千年前の平安朝に生きた、式部の愛と苦悩がさくりさくりと胸を刺し、まるで我がことのように鋭い痛みを感じるのです。

 著者・諸田玲子さんはデビュー以来、歴史を題材に人間ドラマを書いてきました。とくに女性を描くとき、その心に向き合い、真の声に耳を傾け、想いのたけを掬(すく)い取ります。だからこそ、実在であれ架空であれ、その人物の姿が血肉を持って立ち上がり、読み手の心に迫ってきます。

 この物語は、江侍従〔現在〕と和泉式部〔過去〕の二つの視点で交互に描かれます。江侍従が少し頼りない夫を従えて、式部の謎を探っていくと、過去と現在の二つの世界が一つに重なり、式部の真実が浮かび上がります。数多の恋に身を委ねても、式部が求めたのはただ一つの揺るぎない愛だったのです。

 愛する人を失ったときの引き裂かれるような悲しみも、一人娘に先立たれたときの身悶えするような苦しみも、歌を詠むことで慰めました。式部の人生は、まさに歌の一首一首に刻まれていました。赤染衛門は、歌こそ、式部の冥き道を照らす月だと語ります。「今ひとたびの逢ふこともがな」に込められたのは、恋心だけではなく、人生そのものと言える歌への情熱だったのかもしれません。


 少女の頃、思いを寄せた詠み人は、限りある人生を懸命に生きた人でした。「恋に生きて何が悪い」。彼方から式部の声が聞こえてきます。歌を詠むことで魂を輝かせた、和泉式部の思いに心を重ね、真摯(しんし)で一途な生き方に共鳴せずにはいられません。

プロフィール

青木逸美(あおき・いづみ) おすすめ文庫王国2020
本の雑誌が選ぶ文庫ベストテンで時代小説部門を担当する書評家

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