第一話 妻の鏡 後編
遠藤彩見Saemi Endo
翌日の午後、ようやく倉五郎(くらごろう)が満徳寺にやって来た。
なつはふさときくと裏庭の草むしりをしているときに、智栄(ちえい)からそのことを知らされた。支度をするように言い置いて本堂に戻る智栄を、なつは追った。
「智栄様から、おはるさんに頼んでほしいことがあるのです」
「頼み事なら、おなつさんが直接お話しすればよいではないですか」
「いえ、それが、あちらはなかなか──」
「おなつさんには御仏がついております」
智栄がぽっちゃりとした手を合わせて微笑む。
仕方なく、なつは庫裡(くり)に向かった。台所から茶の間を抜けて座敷に入ると、縁側にいたはるがなつに振り返った。
はるの前には、ささがきの新ごぼうが入ったざるが並んでいる。昨日、なつが干したものだ。はるはすぐに前に向き直り、ざるの中のごぼうをかき回し始める。まんべんなく陽に当たるようにしているのだ。
素っ気なく向けられた背中を見てためらっていると、後ろからひじの辺りをそっと押された。
振り返ると、知らぬ間についてきていた智栄がにこりと笑い、行け、となつを視線で促す。まるで、なつとはるの対決を前に、頬を上気させていた慈白(じはく)のようだ。
智栄に重ねて促され、なつは仕方なく、はるに歩み寄った。
そばに行き、「あの」と呼びかけると、はるが無言でなつを見上げた。なつは突っ立ったまま、はるを見下ろして口を切った。
「うちの人が今、寺役場でお取調べを受けてます。そのあとですけど、わたしが先に、うちの人と話しますから」
下手に出て頼むつもりが、はるの冷たい眼差しを見たら切り口上になった。智栄が、やんわりと口を挟む。
「おなつさん。まずは、おはるさんと相談して──」
「わたしが、先に、うちの人と話します」
初日のふさの話を思い出して決めたのだ。
──離縁をさせない添田(そえだ)様。
──帰縁させようと粘るんだよ。
なつがはるより先に倉五郎と対面して、添田の後押しで帰縁してしまえばいい。そうすれば、はるがどんなに爪を研ごうと無駄になる。
はるがざるをかき回す手を止め、智栄を見上げた。
「智栄様は、倉五郎さんのお取調べが終わったあと、わたし、おかみさんの順で話すと仰いましたよね。わたしも早く片をつけて、一刻も早く江戸に帰りたいですから」
- プロフィール
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遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『みんなで一人旅』『二人がいた食卓』などがある。