第四話 継母の呼び名 前編
遠藤彩見Saemi Endo
まさか、この門を再びくぐることになるとは――。
満徳寺(まんとくじ)の駆け込み門をくぐったせいは、境内を見渡した。
晩秋の境内は三年前と変わっていないように思える。よく晴れて澄んだ空気が景色をくっきりと鮮やかに見せている。枯れた葉が風で地面に引きずられて乾いた音を立てる。
この満徳寺は縁切寺だ。三年前、せいはこの駆け込み門から必死の思いで寺に逃げ込んだ。夫の手が届かぬようにと心の門をもぴしゃりと閉ざした。
内門に向かうと左手にそびえる銀杏の木が目に入った。きらりと光った木洩れ日は剃刀の刃のようだ。あのとき、震える手で握りしめた剃刀の柄の冷たさ、涙に霞む目で見つめた銀色の刃を、昨日のことのように思い出す。
背後で内門が閉ざされる。その音に背を押されて、せいはまた歩き始めた。参道の先には藁葺き屋根の本堂がある。せいは歩きながら、そこで過ごした時間を思い返していた。
*
「おせい殿。やはり、そなたをここで受け入れるわけにはいかぬ」
寺役人の添田万太郎(そえだまんたろう)が向かいに座るせいに厳しい声で問いかけた。
満徳寺の薄暗い本堂の奥、御本尊の前に座った添田の顔も翳って見える。晩秋の弱々しい陽射しは障子戸に遮られてさらに乏しくなっている。
前日に満徳寺に駆け込み、寺役場で添田に取調べを受けた。身の上と離縁を願っていることを話すと、しばし待つようにと言われた。尼に見守られながら寺の庫裏(くり)で一晩過ごし、そして今、本堂に呼ばれている。
添田が苦虫を噛みつぶしたような顔で続ける。
「そなたの夫、桐生直秀(きりゅうなおひで)殿はこの上野国(こうづけのくに)白井(しろい)藩の役方。武士ではないか。武家の者が離縁を望む場合、縁組と同じように主君に届け出をする決まりだ」
取調べのときも添田に同じことを言われた。せいも同じ答えを返した。
「ですが、夫は離縁を許してくれないのです」
- プロフィール
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遠藤彩見(えんどう・さえみ) 東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、初めての小説『給食のおにいさん』を発表。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『みんなで一人旅』『二人がいた食卓』などがある。