第一回
深町秋生Akio Fukamachi
1
有働了慈(うどうりょうじ)の視界がぐらついた。地面が斜めに見えてくる。
ヘルメットをかぶっていたとはいえ、重い鋼管で側頭部を思い切り叩(たた)かれたのだ。ものすごいスピードで、地面がみるみる近づいてくる。
顔から地面に倒れようとしているとわかり、とっさに両手で受身を取った。両手と鼻に衝撃が走り、目から火花が散る。
有働はゾッとした。長年の格闘技経験がモノをいい、どんなときでも受身が取れるよう叩きこまれている。
しかし、それもギリギリのところだった。コンクリートの地面と熱いキスを交わし、鼻骨を叩き折られ、前歯を何本か失うところだった。
有働の頭のすぐ横に鋼管が振り下ろされた。鋼管がコンクリートの床とぶつかり、ひどく耳障りな金属音が鳴る。コンクリートの細かな破片が顔に飛んできた。
「劉(リウ)さん。んだば日本語授業の続き、やってみるすか」
大貫(おおぬき)がきつい宮城弁を口にしながら見下ろしてきた。
「こ、このへんて許してくたさい」
有働も言葉を訛(なま)らせて答えた。外国人を装うためにヘタクソな日本語で許しを乞う。
ここでは有働了慈ではない。劉浩宇(ハオユー)なる中国人になりすましている。中国黒竜江省(こくりゅうこうしょう)の田舎者に化けて、真夏の建設会社で汗水たらして働き、そして苛烈なイジメを毎日のように受けている。
「ダメダメ。はい、だば産業廃棄物って言ってみさい」
「お願いてす。このへんて」
「産業廃棄物。ほれ早ぐ!」
「さ、さんきょうはいきぶつ」
大貫が歯を剥(む)いて笑った。彼の同僚たちも嘲笑する。
大貫はツーブロックに短髪という、今時のワルが好みそうな頭にしていた。二十九歳という年齢のわりには、ふてぶてしいツラのせいで四十代くらいに見える。冷感度がアップする素材が使われているという夏向けの長袖Tシャツを着ているが、大量の汗に濡れてベッタリと肌に貼りつかせていた。
彼はひとしきり有働の拙(つたな)い日本語を笑い飛ばすと、急に怒りの表情になって足を振り上げた。安全足袋が有働の胸へと飛んでくる。
「ひっ」
有働は情けない声をあげた。軍手をつけた掌(てのひら)で安全足袋のつま先を防ぐ。
- プロフィール
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深町秋生(ふかまち あきお) 1975年、山形県生まれ。2004年、『果てしなき渇き』で第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞してデビュー。他の著書に、ベストセラーの「組織犯罪対策課 八神瑛子」シリーズ、『地獄の犬たち』「バッドカンパニー」シリーズなど多数。