よみもの・連載

下町やぶさか診療所4

第五章 純愛・前

池永 陽You ikenaga

 うんざりしていた。
 診察室のイスに座り、麟太郎(りんたろう)の前で自論をまくしたてているのは元子(もとこ)だ。
「ですから何度もいうように、これは詐偽同然ですよ。綺麗(きれい)な宝石が入っているといって渡された箱を開けたら、なかに入っていたのは、ビー玉――その類いの詐偽と同じですよ、これは」
 元子はさらに、まくしたてる。
 どうやら入念に化粧をして出かけてきたようだが、何度も下唇を噛(か)みしめて喋(しゃべ)っているせいか、ルージュが剥げかけている。
「あのなあ、元子さん。さっきもいったように、潤一(じゅんいち)は確かにここに顔を見せた。だがよ、それは急に入用になった葬儀のための礼服を取りにきただけで、決して診察のためにここにきたわけじゃねえからよ」
 諭すようにいう麟太郎に、
「わかってますよ、私もそれほどの莫迦(ばか)じゃないですから。わかってはいるけど、やっぱり期待した分だけ、落胆が大きくて誰かに当たりたくもなるじゃないですか。それぐらいは大(おお)先生だってわかるでしょ」
 じろりと麟太郎を睨(にら)みつけた。
「それにしたって、元子さんは御亭主持ちの立派な奥さんなんだから、そんな筋の通らねえことをいってもよ」
 うんざりした気分に、段々腹立たしさが交じってきた。
「亭主持ちでも女は女。贔屓(ひいき)の殿方がいてもいいんじゃないですか、大先生。芸能界や歌舞伎の世界は、それでもっているようなもんですから、可愛いもんですよ」
 正論は正論といえた。
 元子は近所の仕出屋の女将(おかみ)で、年は四十代半ばの女盛り。婿取りをしている家つき娘のせいか、どんなことにも物怖(ものお)じしない性格で潤一の大ファンだった。
「ところで元子さん。ひとつ訊(き)きたいことがあるんだが、教えてくれねえか」
 腹立たしさを抑えて、機嫌を取るようにいう。
「前から気になってたんだが、なぜ元子さんたちには潤一がここで診察する日がわかるんだろうか。あいつはいつも、ふらっとやってきて、ここの診察室に入るだけで事前通告などはしてねえんだがよ」
 そういうことなのだ。潤一が診察をする日はなぜか、中年女性の患者数が増えて待合室がいっぱいになるのを麟太郎は以前から不思議に思っていた。
「あらっ、そんなこと簡単ですよ」

プロフィール

池永 陽(いけなが よう) 1950年愛知県豊橋市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、コピーライターとして活躍。
98年「走るジイサン」で第11回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。2006年、『雲を斬る』で第12回中山義秀文学賞を受賞する。著書に『ひらひら』などがある。

Back number