第三章 出師挫折(すいしざせつ)13
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
二十五 (承前)
信方(のぶかた)は息子の信憲(のぶのり)と曲淵(まがりぶち)吉景(よしかげ)に言い渡す。
「ともあれ、必要以上に身構えることはない。まずは臨機応変に動けるよう心懸けてくれ」
二人は緊張した面持ちで頷(うなず)いた。
――これで信憲の気も少しは引き締まるであろう。吉景は見るからに、やる気満々であった。二人にとって良い転機になってくれると信じよう。
翌日、信方は再び晴信(はるのぶ)と面会し、息子と曲淵吉景の件に関して許しを乞うた。加えて、禰々(ねね)の問題について、寅王丸(とらおうまる)の改名を提案する。
その話を、晴信は硬い表情で聞いていた。
「……昌俊(まさとし)とも話しましたが、とにかく於(お)禰々様には当家の者が寅王丸様を奉戴していることをわかっていただきたく存じまする」
「そうだな。あまりに身辺が急変したため、禰々は混乱しているのだと思う。まだ余にも心を開いてくれぬ。されど、寅王丸のことならば、耳を貸してくれるやもしれぬ。機会を見て、話をしてみよう」
「お願いいたしまする」
「ところで、板垣(いたがき)。明日あたりの夕餉(ゆうげ)に、一献どうか?」
晴信は盃を呷(あお)る真似をしながら訊く。
「有り難き仕合わせ。遠慮のう御相伴に与(あずか)りまする」
信方は笑顔で快諾した。
ところが、この日の午後、事態が急変する。
諏訪(すわ)から早馬が到着し、「所払いになっていたはずの諏訪西方(にしかた)衆、矢嶋(やじま)満清(みつきよ)が兵を率い、上原(うえはら)城の守矢(もりや)頼真(よりざね)を囲んだ」と伝えてきたのである。
明らかに、信方の留守を狙った急襲だった。
「敵の兵数は、どのくらいだ?」
怒りに充ちた表情で、伝令の者に訊く。
「上原城を囲んだ兵は三千あまりかと」
「三千?……なにゆえ、諏訪から放逐されたはずの矢嶋満清が、それほどの兵を率いているのか?」
「どうも、福与(ふくよ)城々主の藤澤(ふじさわ)頼親(よりちか)が与力しているようにござりまする」
「上伊那(かみいな)衆の藤澤か……」
信方は髭(ひげ)をまさぐりながら思案する。
「ならば、高遠(たかとお)の裏切りも濃厚だな。昌頼(まさより)はどうした」
「駒井(こまい)殿はすぐ諏訪にいた兵を集結させ、上野城の救援に向かわれました。そのかいもあり、城は落ちずに済み、矢嶋の軍勢と対峙(たいじ)しておりまする」
「では、できるだけ早く援軍が必要だな。御屋形(おやかた)様にお許しをいただき、すぐに諏訪へまいる。それまで踏ん張れと、昌頼に伝えてくれぬか」
「承知いたしました。では、失礼いたし、諏訪へ戻らせていただきまする」
伝令は一礼してから、素早く立ち上がり、踵(きびす)を返した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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