第三章 出師挫折(すいしざせつ)25
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
二十八
今川(いまがわ)家と北条(ほうじょう)家の和睦を取り持ち、短期間で河東の争乱を終結させた武田家の風聞は、すぐに坂東(ばんどう)でも広まった。
特に、三人の惣領(そうりょう)の中で最も若い晴信(はるのぶ)が仲介を成功させたことは、大きな驚きをもって受け止められていた。
それは信濃(しなの)でも同様であり、諏訪(すわ)や上伊那(かみいな)では、晴信の手腕に対する賞賛の声が高まる。一方、北信濃の勢力は、武田、今川、北条の和睦を苦々しい思いで見ているようだった。
そして、河東争乱と連動する形で始まった坂東の合戦は、まさに佳境へ向かおうとしていた。
――その成り行きによっては、われらにも大きな影響を及ぼすかもしれない。
そう考えた晴信は新府に戻るやいなや、家臣たちを集め、評定を開いた。
信方(のぶかた)から今回の和睦仲介に至る経緯が詳細に報告された後、晴信が今後の予測について述べる。
「こたび三家の戦止(いくさど)めが相成ったことで、互いの背を預け合い、別々の敵と相対することになった。この約定により、今川家の与力(よりき)などを含め、われらにとって下伊那の制覇は格段に行いやすくなった。されど、眼前には松本平(まつもとだいら)の小笠原(おがさわら)、佐久(さく)の近辺でわれらに敵対する国人衆(こくじんしゅう)、そして、上田(うえだ)及び葛尾(かつらお)城の村上(むらかみ)義清(よしきよ)などがおり、われらが北信濃へ進むための課題が山積している。最も重要な問題は、八万余の坂東勢と相対している北条家がどうなるかということだ」
晴信はひと息ついてから、一同を見廻(みまわ)す。
一言も聞き漏らすまいという皆の鋭い視線が集まる。
「余の見立てを申すならば、北条家が武蔵(むさし)から全面撤退するようであれば、上野(こうずけ)の関東管領職、山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲政(のりまさ)の権勢は高まり、それに追従している者たちも勢いづくであろう。小県(ちいさがた)を追われ、山内上杉の庇護(ひご)を受けている海野(うんの)の残党が息を吹き返す恐れもある。そうとなれば、佐久の近辺でわれらに敵対する国人衆と結託することも考えられる。ここまではよいか?」
主君の問いに、皆一様に頷(うなず)く。
「佐久で騒ぎが起これば、これ幸いと小笠原が塩尻(しおじり)の奪還に動くやもしれぬ。また、上田から様子を窺(うかご)うている村上も黙ってはいまい。どうあれ、坂東の戦模様次第で信濃にも大きな波紋が広がると考えた方がよかろう。それらの情勢から判断すると、下伊那の制覇はもう少し後でもよいと思う。われらはまず諏訪の先にいる敵に眼を向けねばならぬ。さて、どのような順番で障害を片付けていくか。意見がある者は、遠慮なく述べよ」
それに対して、すぐ挙手したのは甘利(あまり)虎泰(とらやす)だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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