第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
六十三
よもや、この城に籠もることになるとはな……。
小田原(おだわら)城の殿主閣(てんしゅかく)に立ち、北条(ほうじょう)氏康(うじやす)は東の方角を見渡す。
五万にも達しようという軍勢が、この城に押し寄せていた。
それは長尾(ながお)景虎(かげとら)の呼びかけに応じて集まった坂東(ばんどう)勢であったが、まるで己に向けられた黒々とした悪意が蜷局(とぐろ)を巻いているようにも見える。
――それでも、河越(かわごえ)城を囲まれた時ほどの息苦しさはない。あの時は無数の見えぬ手で首を絞められるが如(ごと)き切迫を感じた。さような感じがせぬということは、それだけ北条一門が強くなったということか……。あるいは、これほどの大軍勢を集めながら、どこか生温(なまぬる)い景虎の戦(いくさ)仕立てに、恐れを感じておらぬということか?
そんなことを自問しながら、氏康はこの合戦の端緒を思い返す。
越後(えちご)勢が三国(みくに)峠を越え、上野(こうずけ)の沼田(ぬまた)城へ侵攻。
氏康がその一報を受けたのは上総国(かずさのくに)の南部、望陀(もうだ)郡畔蒜荘(あびるのしょう/君津〈きみつ〉)まで出張り、里見(さとみ)家が新たな本拠地とした久留里(くるり)城を包囲していた時のことだった。
父の氏綱(うじつな)を裏切り、長年、北条家と反目してきた里見義堯(よしたか)を成敗するためである。
だが、この時すでに里見義堯は越後の長尾景虎と手を結んでおり、北条勢の背後を脅かすために坂東への出陣を願っていたようだ。
しかし、景虎が上野に攻め寄せたのは、単に里見への援軍のためだけではなかった。
関東管領職(かんれいしき)としては死に体同然であった上杉(うえすぎ)憲政(のりまさ)を奉じ、その旧領を奪回するという大義名分を掲げてのことだった。
景虎は越後勢の八千余を率い、まっすぐに沼田城へと攻め寄せる。
この城には北条綱成(つなしげ)の次男である北条氏秀(うじひで)、沼田康元(やすもと)が入っていた。
おそらく、越後勢は氏康の甥(おい)が城代だと知った上で、あえて最初の標的を沼田城にしたようである。
八千余の軍勢に寄せられ、北条氏秀は籠城を選ばず、衆を引き連れて松山(まつやま)城まで後退する。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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