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第二話 彼女の知らない駅で加藤千恵 Chie kato

 ずっと続くはずがなかったのだ。
 新しい彼氏と一緒に暮らすことになったから、この部屋を出る。そんな趣旨のことを朋香(ともか)はわたしに告げた。彼女が最近始めた、創作居酒屋のバイトから帰ってきた直後に。ごめんねー、と謝る口調は軽いものだった。
 でも真剣なトーンで謝られるよりは、ずっとマシだった。
 バイトを終えたあとでビールを飲ませてもらえるのが嬉しくて、と前に話していた、そのビールが理由なのか、朋香の頬は赤らんでいる。しっかりと施されたメイクは、数時間働いたせいか、若干アイラインが滲んだようになっているものの、この子は相変わらず可愛い。自分が可愛いことを知っている。
 怒っても仕方ないとわかっていた。怒ったって泣いたって、朋香は自分の意思を曲げない。一緒に暮らしてきた一年半のうちに、いや、友人関係を築いた四年前から、思い知らされていた。
「そっか」
 答えたわたしに、不動産屋さん行かなくちゃね、と朋香はすぐに言った。こんにちは、と言われて、こんにちは、と返すような早さに近かった。
「え、いつ?」
「早いほうがいいでしょう? だって、麻理恵(まりえ)、この部屋の家賃全部払うのは無理じゃない?」
 そこまで言われて、探そうとしているのがわたしの部屋であって、朋香のものではないのだと気づいた。
 現在、家賃はわたしのほうが多く負担している。部屋が八畳と六畳で、少し広めのほうをわたしが使っているという理由からだけど、本当は狭いほうだって構わない。玄関やリビングや浴室といった、二人のスペースには、わたしのものよりも朋香のもののほうがずっと多い。もし厳密に割り勘しようとするのであれば、半額ずつか、むしろわたしの支払い分が少なくなるくらいかもしれない。
 でもさして不満はなかった。正社員として働いているわたしのほうが、フリーター生活を続ける朋香より、収入は多い。生活に支障をきたさない範囲であれば、払いつづけるつもりだった。
 ただ、すべてを負担となってしまうと、さすがに厳しいものがある。新たな共同生活者を探すのは困難だし、確かに朋香の言うように、早いうちに新たな物件を探すのがいいのだろう。
 それでも少しひっかかる。
 自分の代わりに誰かが入る可能性とか、わたしが家賃をすべて負担して住みつづける可能性とか、そうした道を探ってから、不動産店に行くのを提案したって遅くないんじゃないだろうか。
 まるで追い出したいみたいだ。出て行きたいのは、朋香だけなのに。
「じゃあ近いうちに行ってくるよ」



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〈プロフィール〉
加藤千恵
1983年北海道生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業卒業。
2001年、短歌集『ハッピーアイスクリーム』で高校生歌人としてデビューし、話題に。短歌以外にも、小説、詩、エッセイなど、さまざまな分野で活躍。
主な著書に『ハニー ビター ハニー』『さよならの余熱』『あかねさす――新古今恋物語』『その桃は、桃の味しかしない』など。
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第二話 彼女の知らない駅で
第一話 北欧まで何マイル