よみもの・連載

彼女たちはヤバい

序章

加藤 元Gen Kato

 今日のお客は、飯塚(いいづか)アヤという女性だった。

「私、この駅で降りたのは、はじめてなんです」
 飯塚アヤは、いくぶん緊張しているようだった。
「そうかもしれませんね。観光地でもないですし、特別な用事でもない限り、あまり足を向けない町でしょう」
 初対面、初回のお客。まずは世間話から入っていく。お決まりの流れである。
「地下鉄の階段を上がったら、大きなお寺の裏に出て、びっくりしました」
「そうそう、やたらと古くてでかいんですよ、あのお寺」
「何てお寺なんですか」
「H寺です」
「聞いたことがあります。有名ですよね」
「それはC区にあるH寺の方ですね。あちらは観光地としても名が知られていますが、こちらはただの地元のお寺です」
「でも、系列は一緒なんでしょう」
 系列って、チェーン店みたいな扱いだな。
「同じ宗派でのれん分けしたみたいな感じなんじゃないですか」
 力いっぱい適当な説明。寺の関係者が聞いたら眉をひそめそうだ。いや、それとも笑い出すかな。
「こちらのお店も、ずいぶん古いんですね」
 飯塚アヤが周囲に視線をめぐらせた。
「お店に着いたとき、昔ながらの喫茶店だなあって、ちょっと感動しました」
「いかにも昭和って雰囲気でしょう」
 四角いガラスのはまった木の扉。カウンター五席と四人掛けボックス二つ。全体がコーヒー色に染まったようなオーク材の内装。
 昭和の昔から何十年ものあいだ、変わらない風景だ。
「サラ先生のお店なんですか」
 苦笑が洩(も)れた。
「先生はやめてください」
 でも、悪くはない。サラ先生。気に入った。
「祖父の代からのお店です。今は母親が経営しています」

プロフィール

加藤元(かとう・げん) 1973年神奈川県生まれ。2009年『山姫抄』で第4回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。11年に発表した『嫁の遺言』が大きな話題を呼ぶ。他の著書に『ひかげ旅館へいらっしゃい』『好きなひとができました』『四百三十円の神様』『うなぎ女子』『本日はどうされました?』など。

Back number