第1回「ここは異国かニッポンか 〜〜はじめての日本語学校」
北村浩子Hiroko Kitamura
日本語学校はどことなく謎めいている。
わたしの住んでいる横浜には、土地柄、外国の人が昔から多く居住している。日本語学校も、もちろんある。でも、日本語教師という仕事に興味を持つまで、その存在を意識したことは、正直まったくなかった。
資格を取り、求人検索をして驚いた。
横浜市内だけでも約10校、神奈川県内には20校近く、そして東京にはなんと200校以上もあった。想像以上の数だ。
ということは──学校の規模は分からないけれど──通っている人もたくさんいるはずだ。なのに日本語学校は、多くの日本人にとって身近に感じられる場所とは言い難い気がする。日常生活の中で訪れる機会はないし、交流イベントみたいなものを開催しているのかどうかも分からない。
どんな人が、どんな動機を持って、どんなふうに勉強しているんだろう?
そんな単純な好奇心と、妙に浮き立つような気持ちを胸の中に充満させて、わたしは日本語学校に足を踏み入れた。ちょうど10年前のことだ。
都心に近い、某私鉄沿線の駅から歩いて5分。住宅街の入り口の、比較的静かな通りに面した4階建ての建物の外壁に「○○○日本語学院」と大きな看板がかかっている。看板の下に置かれている自動販売機には、世界各国の国旗がラッピングされている。駐車場の脇の喫煙スペースで、背の高い男性数人が──ここの生徒なのだろう──リラックスした様子で煙草を吸っている。
ガラスの扉を押して中へ入る。新しくはないが窓がたくさんあって、室内は明るい雰囲気だ。リノリウムの床のロビーの奥に受付がある。掲示物やポスターはほとんど日本語。外国語ではないことに少し驚くが、それもそうかと思う。
ベテランの先生の授業を見せてもらうことになっていた。迎えてくれたのは穏やかで可愛らしい雰囲気の、Tさんという女性の先生だった。
「この学校は、できてから20年ちょっとです。元々この建物は学習塾として使われていたんですよ。昔は違う場所にあって、移転してきたんです」
1階は教職員の部屋。教室は2階から4階までの各フロアに、合わせて18あるそうだ。1クラスの人数は20人弱。30以上の国と地域から来た、常時300人から400人近くが学んでいるという。そんなに多くの国から、そんなにたくさんの人が……と、数字だけで圧倒される。
- プロフィール
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北村浩子(きたむら・ひろこ) フリーアナウンサー、ライター、日本語教師