第3回「日本人だから教えられると思ってた
〜〜日本語教師になるまで」
北村浩子Hiroko Kitamura
27歳のとき、関東のFM局の契約アナウンサーの仕事を得た。
所属ではなく契約だったので、長くても5年くらいだろうと思っていたら10年が経った。ニュースを読み、CMを読み、本を紹介するコーナーを持たせてもらえ、局のウェブサイトでコラムの連載もさせてもらった。
11年、12年、13年……好きな仕事ができるのはこのうえもなく嬉(うれ)しかったけれど、その分不安も募った。40代になっても、今と同じように働かせてもらえるのだろうか、と、大げさではなく毎日思っていた(「もらう」という言葉を繰り返したが、アナウンサーはしたくてできる仕事ではなく、させてもらう仕事なのだ)。
ラジオの番組改編期は4月と10月。その数カ月前になると、局の編成部の人がニュースルームに来るたびにどきどきした。「北村さん、えー、このあたりでそろそろ……」と言われたら、すぐに新しい仕事を探さなければならない。フリーアナウンサーは(特に女性は)キャリアの長さが(必ずしも)重宝されない。技術よりも、若さや新鮮さが求められる傾向があるということは、若い頃から分かっていた。
年を取るごとに、ジレンマが濃くなる。続けられることをシンプルに喜べないのは、内心とてもつらかった。何か、対策というか準備をしておかなければ、と焦っていたわたしの背中を押してくれたのは、仕事仲間の女性Kさんが、ある日見せてくれたものだった。日本語教育能力検定試験合格証書。
「何? これ」
「受けてみたんだ。実は勉強してたの」
忙しい合間を縫って海外へ行ったり、ユニークな店を教えてくれたり、そこへ突然連れて行ってくれたり、同年代の放送作家の彼女の情報収集力と行動力は前から知っていたけれど「日本語教育能力検定」に興味があるとは知らなかった。
「外国人に日本語を教えるの? 英語で?」
「ううん、直接法って言って、日本語だけで教える方法があるんだよ。日本語教師って、今、すごく求人多いんだって。この試験に合格するか、教師の養成講座に通えば、資格と認められるんだよね」
「へえ……日本語教師」
日本語を教える。自分にもできそうだと思った。と言うより、自分に合っている仕事なのではないかと思った。アナウンサーだったら、採用される確率も高そうだ。なんてったって、毎日日本語を話してお金をもらってきたんだし、言葉の正確さについての意識も職業柄高いほうだし。
わたしのその不遜さを見透かしたようにKさんは言った。
「検定の合格率は20%くらいだよ。5人に1人。養成講座では420時間勉強しなきゃいけないの」
20%。420時間。
「日本語を教えるだけなのに?」
彼女は、んーと少し長く笑った。
「私は独学でやってみたけど、興味あるなら、できれば養成講座で勉強したほうがいいと思うよ。実習がたっぷりあるし、検定の合格率も高いから」
- プロフィール
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北村浩子(きたむら・ひろこ) フリーアナウンサー、ライター、日本語教師