第5回(最終回)「教室はスモールワールド
〜〜今日も日本のどこかで」
北村浩子Hiroko Kitamura
中国、韓国、ベトナム、フィリピン、モンゴル、インド、ロシア、トルコ、ドイツ、セネガル、ブルキナファソ。
今担当しているクラスの、20人の学生の国籍は全部で11。日本人のわたしを加えると12。
教室に入り、テキストや教材などの荷物を定位置に置き、さあ授業を始めましょう、と言いながら彼らの顔を正面から見ると、いつも、ああすごいなと思う。小さな教室に12の国の大人がいる。彼らは(ある意味ではわたしも)日本語を勉強するために今日もここへ来ている。
それって、なんかすごくない?
毎回毎回ちいさく驚き、そう思っている。
いいのか悪いのか分からないが、わたしはいまだに慣れていない。外国の人だけの場に自分がいるということに。彼らに日本語を教えるということに。緊張しながら頭を懸命に働かせ、夢中で授業をするので、夏だけではなく冬も笑えるくらい汗びっしょりになる。20人を前に、わたしは今日も間違いなく汗をかいている。
日本語学校のカリキュラムはとても細かく作られている。
教師は毎日、その日にやらなければならないタスクをすべてこなすことに集中する。汗をかくのは、テンションを上げるから、というのともうひとつ、課せられた範囲を終わらせなければならないプレッシャーを感じるせいだ。
レベルにもよるが「自由に会話をする」というような授業は、実のところほとんどない。テキストは文法積み上げ式で、非常に精緻に作成されているため、テキストの内容を漏れなく教授しないと、次の日の授業に支障が出る。
たとえば、日本語教育の世界で「て形(けい)」と呼ばれているものがある。食べて、飲んで、行って、などの動詞の形のことだ。初級の最初に出てくるこの「て形」は、日本語学習者にとっての第一の関門と言っていい。英語の過去形、過去分詞形のイメージに近いが、「て形」は活用のルールが複雑で変換のバリエーションが多く、なかなかすぐには覚えられない。
しかし「て形」の文型──「窓を開けてください」「窓を開けてもいいですか」「窓を開けてもらえませんか」など──は日常生活でよく使うため、次から次へと出てくる。それらの文型が「何を言いたいときに使うのか」を理解するには、まず「て形」をすぐに頭から引き出すことが必要になる。
どんな言語を勉強するにしても、似たような苦労は絶対にある。でも、教えていると、大変だなあとどうしても思ってしまう。毎日、こんなにたくさん覚えなきゃならないことがあるなんてキツいだろうな。母語以外の言葉を身に付けるには、覚悟を更新し続けなきゃいけないのかもしれないなあ……。
- プロフィール
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北村浩子(きたむら・ひろこ) フリーアナウンサー、ライター、日本語教師