連載
あなたの知らない舞台裏
舞台『あなたも知らない舞台裏』エピソード0 松澤くれは Kureha Matsuzawa

 女の子が、熱心に台本を読んでいる。
 終電の近い、すし詰め状態の丸ノ内線。つり革を頼りにかろうじて立っている私は、前の席に座る「女優さん」が気になって仕方なかった。
 上から見ただけでも、可愛い顔立ち。きれいに巻かれた茶色の髪にはツヤがあるし、服装も若い。私にはもう着られそうにない真っ赤な花柄ワンピース。歳はいくつだろう。未成年かもしれない。
 彼女はコピー紙の束を開いていた。
 角はボロボロに折れ曲がっている。
 まわりの人は気づかなくても、それが舞台の台本だってすぐにわかるのは、私も彼女と「同業」だから。きっと自分のセリフだろう、黄色の蛍光マーカーの引かれた箇所に目を落としながら、わずかに唇を動かしている。セリフの暗記中か、言い方を納得いくまでイメージしているのか。同じページを開いたまま、凛とした表情で集中している。
 人目をはばからず台本が読めるなんて。
 私は懐かしむ。
 私にもそんな時代があった。
 電車内だろうが、カフェだろうがおかまいなし、暇さえあれば私も台本と格闘した。ぐしゃぐしゃになるまで読み込んで、何度も自分のセリフを口にした。
 今はもう、恥ずかしくてそんなことできない。
 まわりの目をどうしても意識してしまう。
 役者をやっていることすらバレたくない。
 人前に出ることを望んでおきながら、堂々と胸をはれない自分がいる。
 いつの間に、私はこうなってしまったのだろう。
 夢も希望もいっぱい抱ける、目の前の彼女が羨ましい。
 いつかチャンスを掴むのかな。
 いつか成功して売れるのかな。
 私はこころのなかで「頑張れ!」って念じてみた。
 予想以上に気持ちが入らない。それはそうだ。私なんかに応援されなくても、彼女は現在進行形できっと頑張っている。真剣に戦っている。
 同業だなんて、思うほうがおこがましい。
 彼女と私では立場が違う。
 未来に希望を抱けるからこそ、人は輝ける。
 だからこそモチベーションが、湧き上がる。
 彼女は女優として輝けるだろう。
 私はどうだ。
 私は、遅い。
 とっくに旬を過ぎている。

 栗原沙織。25歳。
 まだ若いって世間は言うけれど、芸能界で25歳はもうBBA。
 職業――、職業は何だろう。



 
〈プロフィール〉
松澤くれは(まつざわ・くれは)
1986年富山県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。
演劇ユニット<火遊び>代表。舞台脚本家・演出家として、オリジナル作品をはじめ人気小説の舞台化を数多く手掛ける。