第一章2
楡周平Shuhei Nire
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「私には、前がありまして……」
貴美子(きみこ)は言った。
「前?」
「前歴です」
「前歴? はて、何のことだ?」
鬼頭(きとう)は皆目見当がつかないとばかりに小首を傾(かし)げる。
「成人ならば前科になりますが、未成年の場合は前歴になるのです」
「前科?……何をやった」
全く想像もしていなかった答えなのは間違いないが、驚きというよりも興味を抱いた様子で、鬼頭は身を乗り出す。
「殺人です」
「殺人?」
さすがの鬼頭もこれには驚愕(きょうがく)し、目を丸くして絶句する。
自分の過去を第三者に語るのは、これが初めてのことだが、鬼頭の驚きぶりを見るにつけ、戦争の記憶も遠くなってしまったのだ、と貴美子は思った。
戦争とは、とどのつまりは殺し合いだ。
昭和十九年の後半になると、米軍の空襲が激化し、日本各地の大都市は甚大な被害を被った。東京、横浜では、爆弾で吹き飛ばされ肉片と化した、あるいは焼夷弾(しょういだん)に焼かれて炭化した人体が山積みにされ、そこここに転がっていたと聞く。まして鬼頭は大陸で最前線の戦闘、すなわち直接人間同士が殺し合う現場を、幾度となく目の当たりにしたはずなのだ。
なのに、この驚きようである。
「ほら、驚かれたでしょう?」
貴美子は、含み笑いを浮かべた。
「いや……さすがに殺人とはな……」
鬼頭は低い声で唸(うな)るように言い、「いつのことだ。誰を殺した」
矢継ぎ早に問うてきた。
「昭和二十四年の一月……。米兵を二人殺(あや)めたことになっております」
「なっている?」
「理由(わけ)あって、罪を被(かぶ)りましたの。ちょうどGHQの指導で改正された少年法が施行された直後のことです。それで刑務所に……」
「じゃあ、誰かの身代わりになったってわけか? 殺人の罪を被ってまで、庇(かば)う相手とは……」
鬼頭は、そこではたと気がついたように、貴美子の左手の薬指に嵌(は)められた銀の指輪に目を向ける。
「当時、私には婚約者がおりましてね。彼は私を護(まも)ろうと二人の米兵を殺めた。だから、私が罪を被ることにしたのです」
どうやら鬼頭は、ますます貴美子に興味を覚えたらしく、
「聞かせてくれるかな。何があったのか。そして二人の間がそれからどうなったのかを……」
手にしていた煙草を灰皿に擦(こす)り付け、ソファーの上で姿勢を正した。