第一話 旗本たいこ
吉川永青Nagaharu Yoshikawa
御三卿(ごさんきょう)の一・一橋(ひとつばし)家の屋敷は江戸城平川門(ひらかわもん)の間近にある。その庭に「えい」「やあ」と勇ましい声が上がった。槍(やり)の稽古であった。突きや払い、打ち下ろしの形、さらには穂先を左右に振って相手の攻めを往(い)なす形を、幾度も繰り返している。
庄次郎(しょうじろう)は、皆の動きを細かく見ていた。槍は子供の頃から祖父・新十郎(しんじゅうろう)に学んだもので、一年半ほど前に免許となった。以後、一橋家中の子弟に指南している。
「よし、百本だ。今日の稽古はこれまで」
声を上げると、門弟が動きを止めた。居並ぶ六人はどれも十四、五の若者である。息を弾ませながら「ご指南、ありがとうございました」と一礼する姿が初々しい。庄次郎は「うむ」と頷(うなず)いて、ぎょろりと大きな目を細めた。
庭に面した廊下に進めば、教え子たちが足を洗う桶(おけ)を運んで来た。庄次郎は「ありがとう」と笑みを返し、廊下に腰を下ろした。身の丈六尺、固太りの身を丸めて足の裏を清める。と、少しして別の教え子がやって来た。
「土肥(どひ)先生。今月の月謝を集めて参りました」
「もうそんな頃か。金などついぞ使わんから、すっかり忘れていたよ」
差し出された袱紗(ふくさ)を開き、奉書紙に包まれた金子を取って懐に収めた。ひとり二分(一分は四分の一両)で六人分、月当たり三両の実入りであった。
「では、私はこれにて」
「ああ。寄り道せずに帰りなさい」
庄次郎も雪駄(せった)を履いた。たった今の、自らの言葉に苦笑が浮かんだ。
「寄り道せずに、か」
齢(よわい)二十七を数えた庄次郎も、父から常に同じことを言われていた。先には「金などついぞ使わん」と言ったが、実のところは違う。父が「無駄に使うな」と口うるさく、使わせてもらえないだけだ。旗本の跡取りも窮屈なものだな、と溜息(ためいき)が漏れた。
庄次郎の父・土肥半蔵(はんぞう)は一橋家に近習番頭取として仕えている。もっとも御三卿家の家老や役付きは幕臣から派遣される決まりで、土肥家も本来は直参の旗本であった。
父は何ごとにも物堅い。七百石取りの貧乏旗本ながら、茗荷(みょうが)畑を買い入れて家作を成し、人との付き合いも惜しんで小金を貯(た)め込んでいる。そういう吝嗇(りんしょく)を子にも強いるのだから、庄次郎としては堪(たま)らない。他には何の不平もないが、こればかりは息が詰まる。
- プロフィール
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吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。