第三話 私は腹を切りたくない
吉川永青Nagaharu Yoshikawa
「はいはい、鋏(はさみ)が三十に高岡塗(たかおかぬり)のお椀を二十。お待たせはん」
「どうも」
京極通(きょうごくどおり)の小間物問屋で商いものを仕入れ、私は言葉少なに会釈した。口数が少ないからと言って不愛想なのではない。その証(あかし)に、こんなにも柔らかく笑っている。
とは言いつつ、笑みというのも難しいものだ。時に酷(ひど)く勘違いされるから恐ろしい。などと思っていたら。
「何ですの笹屋(ささや)はん。そないな目で見られても困りますえ」
「え? は?」
「お誘いの目ぇ向けられましても、そっちの趣味はあらしまへんさかい」
かくの如(ごと)しである。それと言うのも私が美しいからだ。いや、己惚(うぬぼ)れておるのではない。私はとある高貴な御仁に美しいと認められた身なのである。何度も言うと鼻に掛けているように受け取られかねないが、全くの逆だ。この美麗な面差しのせいで、どれほど苦労してきたことか。
「いえ、この笑みは、ただ『忝(かたじけな)い』の気持ちでして」
申し開きをしながら、思わず溜息(ためいき)が漏れる。相手をしていた問屋の手代が「何や」と安堵(あんど)の顔を見せた。
「おたくはん色男やさかい、そういうとこ見分けが付かんで、ややこしいわ」
「その辺り、できるだけ目立たぬようにしたいのですが」
手代が「ええ?」と大げさに驚いた。
「目立たんようにって、そら損やわ。おたくはんくらい色男やったら、店構えたら女子(おなご)のお客が山ほど来てくれますえ。なのに、江戸風に売り歩いとるんやもの。そんなん、いけ好かんて思われるだけやわ。もったいない」
それでも目立ちたくないのだ。ゆえに、大声で話すのはやめて欲しいのだが。ほら。皆の目が集まっているではないか。何と居心地の悪い。苦笑いさえ引き攣(つ)ってしまう。
「ともあれ、今日はこれで」
早々に切り上げるが吉と、鋏と塗り椀の紙包みを抱え、会釈して退散する。
と、少し歩いたところで後ろから大声を浴びせられた。
「笹屋はん。宗句(そうく)はん! ちょい待っとくれやす。会津(あいづ)や」
会津!
そうと聞いて飛び上がらんばかりに驚いた。どうしたことだ。会津とは。追っ手か。今頃になって、私を捕えに来たとでも言うのか。
- プロフィール
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吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。