第四話 天愚か人愚か
吉川永青Nagaharu Yoshikawa
赤坂(あかさか)は諸藩の江戸藩邸が多い。三層から四層に及ぶ櫓(やぐら)、二階建ての武家長屋に挟まれた道には押し潰されそうな息苦しさを覚える。
そこを抜けると平河町(ひらかわちょう)、今度は諸藩の江戸詰め藩士が住まう屋敷の群れであった。塀は頭を超えぬくらい、外から見ても分かるほどに庭は狭い。建物の構えは精々が四、五部屋といったところだろう。厳かな大名屋敷に比べれば、多分に質素な眺めになった。
ようやく人心地がついて、なお進む。と、角地にとりわけ粗末な一軒があった。屋根瓦は古びて苔生(こけむ)し、割れているものも少なくない。開け放たれた門の前、子供の背丈ほどもあろうかという表札に大書された名を確かめ、口の中で呟(つぶや)いた。
「ここだ」
それにしても、と戸惑いの念を抱いた。家にはろくな手入れもしていないのに、小ぶりな門だけがやけに立派である。本柱の後ろに控柱を立て、四つの柱で屋根を支える薬医門だ。そう言えば、この家の先代は松江(まつえ)の藩医であったとか。
ともあれ、いつまでも門前でうろうろしている訳にはいかない。大きくひとつ息を吸い込み、五、六歩向こうの玄関に呼ばわった。
「御免。鳩谷(きゅうこく)先生はご在宅か」
昨今、江戸市中を騒がす稀代(きだい)の変人がいる。この家の当代、萩野信敏(はぎののぶとし)だ。出雲(いずも)松江藩・松平斉恒(まつだいらなりつね)に仕える士で、鳩谷を号する老儒者であった。
声をかけて、十幾つか数えるほど待つ。が、中から誰か出て来る気配はない。おかしいな、と首を傾(かし)げて再び声を上げた。
「もし。此方(こなた)、曲亭馬琴(きょくていばきん)と申す者。先だって書状を差し上げ、本日のお約束を――」
「ああ、足下(そっか)が馬琴殿か」
声がしたのは、何と頭の上であった。驚いて見上げれば、切妻屋根(きりつまやね)の陰に隠れるように駕籠(かご)が据え付けてある。その引き戸がごそりと開くと、白髪に白髭(しらひげ)の年寄りがするりと抜け出て、門柱を滑るように下りて来た。小柄なことも手伝って猿にも見える。
「いや、すまんな。会いとうない相手には居留守を使うゆえ、下働きの者には取り次ぎに出ぬよう申し付けてある」
言いつつ、老儒者は互いに手を伸ばせば届く辺りに歩み寄った。馬琴は「あっ」と思って息を止める。と言うのも、鳩谷は酷(ひど)く臭いという風聞だからだ。
「初めてお目に掛かり申す。ご多忙のところ、まことに恐縮です」
- プロフィール
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吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。