第五話 刀と政宗
吉川永青Nagaharu Yoshikawa
「掛かれ!」
その一声で、珍妙な車の群れが進んで行った。足軽が乗っているのだが、牛の革で分厚く覆われた屋根を備えて矢玉を通さない。この城、朝鮮・晋州城(しんしゅうじょう)を落とすべく作られた亀甲車という。牛の革なのに亀の甲とは、これ如何(いか)に。
などと思いつつ戦(いくさ)を検分しておったら、なるほど件(くだん)の亀甲車は火矢でさえ弾(はじ)いている。大したものではあるが、このために牛を百頭も殺して革を剥いだというから無残なものだ。もっとも俺――この伊達政宗(だてまさむね)も、かつて小手森(おでもり)城で人を八百ほど撫(な)で斬りにしているのだが。
「それ、突き崩せ!」
がなり立てる大音声に、俺は眉が寄った。声に続いて打たれる陣太鼓の方が、まだ幾分静かである。ともあれ、指図に続いて車が猛然と押し出された。中の足軽たちが丸太を構え、それによって城の石垣を穿(うが)つ。突っ込んでは引き戻されることを幾度も繰り返すうちに、狙いどおりに石垣は崩れ始めた。
「いいぞ。もうひと息だ。叩(たた)け、崩せ、ぶち抜けい!」
正直なところ、かなりうるさい。戦場は騒々しいのが常なれど、この声は特に耳に障る。それと言うのも、声の主が俺と不仲の加藤清正(かとうきよまさ)だからだ。
俺は清正が嫌いだ。
とは言え、端(はな)から嫌っていた訳ではない。話せば長くなるが、念のために語っておく。
太閤・豊臣秀吉(とよとみひでよし)殿下の家中に於いて、俺は新参である。麾下(きか)に加わったのは今から三年前、相模(さがみ)の北条氏政(ほうじょううじまさ)・氏直(うじなお)父子を討つ戦、いわゆる小田原(おだわら)の陣に参陣せよと命じられた折だ。俺とて天下を窺(うかが)う者、初めは従う気などなかった。まあ結局は我が智嚢(ちのう)・片倉景綱(かたくらかげつな)に説かれて参陣したのだが、すっかり遅参となってしまった。
経緯(いきさつ)を考えれば、首を刎(は)ねられて然(しか)るべきところだったのかも知れない。が、どうにか許された。奥羽(おうう)には小田原への参陣に応じぬ者も多く、伊達を敵に回せば、それらの旗頭にしてしまうからであろう。
ともあれ許されたのだが、一点のみ、殿下の発した「天下惣(そう)無事」に反するという咎(とが)で、攻め取ったばかりの会津(あいづ)を召し上げられた。これは如何にも無念であった。
ならばと、殿下に取り潰された大崎(おおさき)・葛西(かさい)の両家を動かして一揆(いっき)を起こさせた。きりの良いところで連中を降(くだ)らせて召し抱え、その功で会津に代わる新恩を巻き上げてやるつもりだった。しかしながら、世の中そう巧(うま)く運ぶものでもなかった。一揆を唆(そそのか)したのが露見して、言い逃れに四苦八苦した挙句(あげく)に国替えを命じられ、所領も減らされてしまった。
- プロフィール
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吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。