よみもの・連載

ポンコツ列伝

第六話 色道仙人

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 辻を折れて「この辺りのはずだ」と通りを眺める。四、五軒の向こうにひと際目立つ建物があった。鰻(うなぎ)の寝床と称される京町家の中、この一軒だけは料理屋の如(ごと)き普請である。簡素ながら門を構えた二階家で、門前に至れば、横書きに「色道指南」と大書された看板が掲げられていた。
「ここだ」
 新十郎(しんじゅうろう)は固唾を呑(の)み、そこへ足を踏み入れる。狭い間隔で並べられた飛び石を踏んで玄関に至り、大きく息を吸い込んで「御免」と声を上げた。
「此方(こなた)、伊予松山(いよまつやま)藩に仕える者。名を小竹(こたけ)新十郎と――」
 と、口上の途中だというのに、がらりと引き戸が開いた。出て来たのは五十過ぎと思(おぼ)しき細身の男で、白髪交じりの髪を総髪の髷(まげ)に束ねている。
「ようこそ、お出でなされた。この中島棕隠(なかじまそういん)に漢学の指南を受けに参られたか」
 折り目正しい、という言葉がしっくりと来る佇(たたず)まいである。しかし新十郎は、それにこそ驚いた。果たしてこの家で良いのだろうか。門の看板は確かめたはずだが。
「あ、いや。漢学ではなく、ですな」
「何じゃ違うのか。松山の藩士と申されるゆえ、てっきり」
 いささか狼狽(ろうばい)していると、棕隠と名乗った男は得心したように「おお」と手を叩く。
「なら狂歌ですな。そうどすか、この大極堂有長(おおごくどうゆうちょう)に習いたいと」
「は?」
 今しがたの折り目正しい口調はどこへやら、町衆の如く語りかけてくる。しかも中島棕隠を名乗っていたのに、今度は大極堂有長などと、ふざけた名を口走るとは。狂歌を云々(うんぬん)しているが、もしやこの人は狂人ではないのか。思いつつ、しどろもどろに返した。
「い、いえ。歌の嗜(たしな)みも、その、よろしいのですが。ええと……ここは兎鹿斎(とろくさい)先生のお宅では、ござらんのでしょうか」
「ああ、そっちかよ! いやいや、俺がその兎鹿斎だ。おめえさん、色道の指南を受けに来たって訳だぁね」
 今度は江戸言葉である。訳が分からない。
「いや、その。え? 中島……棕隠というのは? 大極堂有長とは?」
 目を白黒させながら問うと、相手は何でもないとばかりに呵々(かか)と笑った。自分には三つの顔があるのだ、と。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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